夏の日の朝、新たな船出の予感!
この夏、人生が変わる予感のchiakiです。
人間、その時期というものがあるようです。
おひとり様がおひとり様でなくなる予感
「引っ越しました。」
5月の終わりに送られたラインの文字。
「レイアウトを考えてくれませんか?」
それは、昨年の11月に別れたダーリンからだった。
兼ねてからマレーシアに移住をしたいと言っていたのでついに決行したかと思いきや、湖畔の古いリゾートマンションに引っ越したとさ。
なーんだと思いながら半年ぶりの再会。
不思議なもので長年付き合ってきた相手といのは、幼馴染みと会うのと同じように離れていた時間を感じさせない。あの時のその時に一気に時間を巻き戻してしまう。
そもそも、憎み合って別れたわけではないので当たり前なのかもしれない。
以前となんら変わりないお互いがそこにある。離れていた時間を全く感じない。それどころか、慣れた相手というのはなんて居心地がいいのだろう。不覚にもその肩先にコテっと頭を乗せたくなってしまった。。。
あれは何年前?
ダーリンとの出会いは15年以上も前の事。当時ダーリンには家庭があり、いわゆる不倫の関係だった。数年後、ダーリンは離婚し私達はいつ結ばれても不思議ではなかったのたが、様々な要因と、タイミング。歯車が噛み合わなかったのか、結婚という形はとらなかった。それから10数年の間、何度も別れては戻りを繰り返し時が過ぎていった。
お互いの子供達もそれぞれ独立し、老後を考える年齢となった昨年の春。トントンと話が進み私達は超長過ぎた春に終止符を打ち、晴れて夫婦という形にたどり着いた。
ダーリン65歳、私54歳。
これから老後を楽しく過ごそうね。
が、しかし…
長く別々で生活していた二人は、慣れない共同生活にいつしか不協和音を奏で始め、僅か3ヶ月で別居、半年で離婚するという芸能人並みのエピソードを作ってしまった。
原因は全て私にあった。
ダーリンとは長年付き合ってきたが、生活という部分にはお互い踏み込まないスタンスをずっと取り続けていた。
いざ一緒に暮らすという現実が目の前に来た時に、私の心の中に余裕が無く、夫婦とは、生活とはこうでなければ、こうあるべき、こうしたいという我が儘でちっぽけな理想が強くなり過ぎて、ダーリンの一挙手一投足すべてが気になり、私の更年期も重なり、精神的に耐えられなくなってしまったのだった。
幸いというか、不幸というか、私には実家という帰る場所があり、夏の暑さも手伝って「この歳になって我慢は無理〜」とサッサと家を出てしまった。年老いた母を見捨てられないなんて体裁を繕い、ただ嫌なところから逃げただけだったのだ。
ダラダラと別居している事は、性格上許せずに付き合っている時のように簡単に別れを決め、無駄に戸籍を汚してしまった秋。
もう、これでダーリンとは完全に縁が切れたと思いながら冬を越し、おひとり様で生きて行くぞと春を迎え、ただ暑いだけの夏を過ごすはずだった。
また、やり直せるのかな
離婚から半年、新しいマンションを見せてもらう理由でダーリンと再会した私は、離れていた間に本当に必要な何かを思い出したのか、1人より2人が良いという事実に気付いたのか、淋しかったのか私の中に住みついたダーリンの存在を再認識するのに、そう時間はかからなかった。
とりわけ、おひとり様で生きて行く事に不安を感じていた私は
「よりを戻してもいいし」
とさらっと優しい言葉を告げるダーリンの変わらぬ姿に、自分の我が儘の愚かさを後悔するのと同時に、感謝の気持ちで一杯になった。
「また、やり直せるのかな?」
私の問いかけにダーリンは
「お前次第だよ。俺はいつでもオープンだから」
そう。
ダーリンはいつも変わらず無条件で私を受け入れてくれる。これを「愛」と呼ばずに何と言おう。
釣り船が漁に出掛ける波の音と、夏を告げる蝉の声の中、何の不安もなく眠れる心地良さに包まれ夏の日の朝をダーリンのマンションで迎えた今日。
ダーリン66歳のお誕生日。
まだ、イビキをかいて寝ている。
「起こる事には意味がある。
乗り越えられない事は起こらない。
今が最高の時である。」
これからの残りの人生を悔いの無いように生きて行きたい。
2人の残りの未来に幸あれ。
てか、蝉の声うるせー!